富山県朝日町。この地に根を張る建築デザイン会社『家印』の代表、坂東さんは、空き家の再生プロジェクトや地域活動を続けています。
企業や大学で地域活性化についての講演なども行う坂東さんですが、地域貢献を始めたのには意外な理由がありました。
坂東秀昭(ばんどう ひであき)
富山県朝日町で15代続く商売家系の長男として生まれる。柔道を続けるため体育系の学部へ進学。自分の部屋をDIYしたことから建築に興味を持ち専門学校へ。朝日町で家印株式会社を立ち上げる。2019年、レオスキャピタルワークス代表の藤野英人とともに一般社団法人みらいまちラボを創設。
空き家活用率0%から100%へ!町の再生に力を注ぐ
早速ですが、坂東さんの故郷でもある富山県朝日町ってどんなところなのでしょう?
坂東:富山県東端に位置し、新潟県との県境で、水も豊かで空気も食べ物もおいしいところです。しかし、富山県内で一番高齢化と少子化が加速していて、僕の生まれた1974年当時、同級生は274人いたのですが、今はなんと年間39人程度しか子どもが生まれていません。富山県内では最初に消滅するとも言われています。
え!そこまで過疎化が進んでいる町を、どのように再生しようとしているのですか?
坂東:危機的状況だからこそ、「朝日町を変えなければ!」とみんなが立ち上がり、行政はこれまで以上に一般の方や若い人の意見も町の政策に活かすようになりました。
僕は行政の運営する『朝日町再生会議』に声をかけていただいたことをきっかけに、ボランティアで空き家の活用支援に携わっています。これまで空き家は年間40件ずつ増え、その活用はほとんどされていない状態でした。しかし、朝日町の行政と民間の活動の成果で、3年間で0件、4年間でも空き家がわずかしか増えていない状況になりました。
日本全国に空き家は増えているけど、貸してもらえる空き家は少ないと聞きますね。
坂東:そうなんです。これまでは空き家を売ったり貸すという選択肢が地元の人にはあまり浸透していませんでした。移住希望者や不動産屋が話をしても簡単にはいかないケースが多いです。なので、所有者が一番信頼関係がある人を教えてもらって、その人に立ち会ってもらい話をするなど、地元の人が間に入って話をするのが重要になってきます。
なるほど。まさに地元民である坂東さんがその立場をされているんですね。
坂東:売ることや貸すことができる空き家が増えれば増えるほど、そこをめがけて移住や多拠点生活で来る人が増えます。人が増え、仕事が増え、経済が発展し、朝日町が元気になる好循環を生み出すのが僕の目標です。
どん底を経験しても諦めなかった、建築家としての道
坂東さんは、独立した当初から「地元のために何かしたい」という思いを持っていたのですか?
坂東:いえ、実はそうではありません。富山県で建設会社へ就職したあと、その会社が倒産し、建築が好きで理想の建築を手がけていきたい思いから当時32歳で無計画で会社を起こしました。
でも、理想と現実のギャップは大きく、経営はまったく上手くいきませんでした。工務店の下請けの仕事をずっとやっていましたが、図面を書いても元受けのほうでお客様と契約できなかった場合お金が支払われなかったり、支払い直前に買い叩かれたり、取引先が破綻したりと、不幸な出来事が続き、自立ができずに親に食べさせてもらっている状態が9年間続きました。
かなり長くそういった状態が続いていたのですね。それでも建築家の道を諦めなかったのはなぜだったのでしょう?
坂東:30代後半になってもやりたい仕事ができず、自立して生活できず親に食べさせてもらい、借金を返すあてもなく、生きてるだけで家族に迷惑をかけ、今だから話せますが、いっそのこと死んでしまおうと思ったこともあります。
それでも、建築の専門学校の学生だった頃は、自分の建築が表彰されることも多く、評価されることはものすごく楽しかったのです。だからいつか業界で認められ迷惑かけてきた家族に恩返ししていきたい。その思いで続けていました。
転機となったのはどんなことだったのでしょう。
坂東:家を建てるというのは、何千万円という大金がかかることです。看板があって、実績があって、仕組みがある業者にみんな安心して頼むんです。坂東秀昭という誰だかわからない人間には、不安で誰も頼まないですよね。
では、どうやったら信頼を得られるかと考え、まずは地元の人に自分のことを知ってもらおうと、地域貢献を始めました。
空き家を改修して、看板を出して、オフィス兼コミュニティスペースを作り、そこで飲み会や勉強会やコンサートやワークショップなど地域の人を集めて交流会を開き、みんなが楽しめる場にしていきました。
そうしているうちに、新聞やテレビといったメディアに取り上げてもらい、北日本新聞から『消えてたまるか朝日町』という本も出版されることになりました。
地元のおじいちゃんやおばあちゃんに、「あんた応援しとるよ」と声をかけてもらえるようになったり。「町の救世主だ」と町長に言われたり、応援されることで、信頼獲得のために始めた地域活動でしたが、いつしか本当に地域を良くしていきたいと思うようになっていました。
地域活動が上手くいったことで、結果的にそこからご自身のお仕事にもつながっていったのですか?
坂東:僕はセールスが苦手で、地域の方々にも仕事の話とか宣伝のようなことは全然できなかったんです。でも、結果的にそれが功を奏したのかもしれません。みんなに楽しんでもらいたいと思い様々な活動していく中で信頼関係が生まれ「ぜひあなたにお願いしたい」と、少しずつ依頼をいただけるようになりました。新築の仕事も増えてきて、今では毎年ひとりずつくらいですが、社員も増えています。
坂東さんにとって、建築の仕事の魅力はどういったところですか?
坂東:これまでやってきて思うことは、家は人生で最も長く過ごす場であり、その環境によってその人の人生の幸せに大きな影響を与えるのだということです。だから僕たちは、すぐに図面を描かずカウンセリングをするんです。家の見た目やかたちに目がいきがちですが、家を建てて、その人はどんな幸せな人生をおくりたいのか。なんのために家を建てるのか、というのを引き出して、明確になってから初めて図面を描きます。
何年たっても自分の家が一番良いと思ってもらえる家を作ることができれば、それはとても価値のある仕事です。
僕らは単に家を作っているのではなく、ひとりひとりの幸せを作っています。『家印』という社名には、地域に幸せの家の印を点在させていき地域全体の幸福につなげていきたい、という思いが込められています。
変わり始めた朝日町の未来
地域の信頼を得ることで、少しずつ好転していったのですね。次なる目標はなんでしょうか?
坂東:この町に移住者を増やすためには、地元の若者や移住者の働き先も増やさなくてはいけません。それにはさすがに、自分の力では限界があります。でもこれまでの経験から、他の人の力を借りられるようになれば、無限大の力を手に入れることができる、と気が付きました。
そんなとき、たまたまテレビで『カンブリア宮殿』を観ていたら、藤野英人さんが出ていたんです。
投資信託「ひふみシリーズ」を運用する投資家の藤野さんですね。
坂東:藤野さんはベンチャー企業をゼロから立ち上げてアジアでも最大の投資会社に成長しています。今では総額一兆円を超える投資をしているのですが、考え方やその有言実行の姿に感銘を受け、なんとなくこの人なんじゃないかなという感がし僕はすぐに講演会を探し参加し終了後にあいさつに行き、名刺交換の後いきなり、朝日町は良いところなので是非遊びに来てくださいと伝えました。
その後も「朝日町に遊びに来てください」というメールを何度も送りました。そして一年半が経った頃、富山県で藤野さんの講演があるタイミングで、実際にお越しいただくことができました。その際、町を案内して、一対一でプレゼンテーションをしました。
本当に来ていただけたのですね!どういうプレゼンをしたのですか?
坂東:これまで苦しい経験をしたことや、これから朝日町で働き先や移住者を増やし、町を元気にしていきたい、朝日町で奇跡を起こしたい、と熱い思いを語りました。
すると、藤野さんが「いっしょに地域を元気にする活動をやりましょう」と言ってくれたんです。
始めは半信半疑で、僕が「どうして協力して、くれるんですか?」と聞くと藤野さんは「いろんな地方を見てきたけど、朝日町には自然豊かで独自の文化もあるし、そしてなにより熱量があるところに可能性があるんです。あなたたちには熱量があり、私は富山に生まれ、富山を元気にしたい思いもあるので、いっしょにやろうと思いました」と言われました。
そして、朝日町の古民家を買っていただき拠点を構えてもらいました。藤野さんは富山県のいろんなところで講演をし、刺激を与えてくれています。
藤野さんといっしょに『みらいまちラボ』という地域活性化のための一般社団法人を立ち上げました。地方創生の好事例についてのセミナーと古民家での交流会などを開催し、日本全国、北海道から沖縄までの企業が朝日町を訪れ、つながることができました。そういった交流から、『ノッカルあさひまち』という新たなサービスも生まれています。
地域コミュニティーと自治体サービス再構築をDXで実現させる取り組みとして朝日町と博報堂が連携協定を締結しました。
また私個人も全国各地域の企業とのつながりも広がりました。
想像もできなかった未来が訪れていますね。今後はどういった動きをされる予定でしょうか?
坂東:朝日町に点在する100坪を越える広大な古民家を、企業のサテライトオフィスやサブ拠点として活用してもらい、その事例を全国に発信していきたいと思っています。
またロケーションが良い場所に遊べて泊まれるような場所も増やせないか検討しています。
消滅可能性都市である朝日町が元気になることで、富山県全体にとっても良い刺激となり、全国のさまざまな地域に良い影響を与えるモデルケースになることができるはずです。
ご自身の挫折を乗り越え、町の危機を救い、多くの協力を得られるようになった坂東さん、これまでの人生を振り返りその成功の秘訣は何だったと思われますか?
坂東:一番大きいのは、人生の目的が明確になったことだと思います。自分は何のために生きるのか、周りにどう思われて人生最期の瞬間を迎えたいか?と毎日毎日神社に行き問い、答えを求めることで、あるときに明確になりました。
どんなに大変なことがあっても、揺るぎないものが見つけられたら、迂回しながらでも一歩一歩ゴールに向かっていけます。
まだまだ僕は未熟ですが、学びの場を作って、周りに伝えて、仲間を増やしていくことで少しずつ成長していきました。まずはビジョンを持つことで、自分を取り巻く世界は変わっていくのだと思います。
取材を終えて
多くの仲間に囲まれ活動の幅を広げる坂東さん、「必要なのはお金ではなく人だったのだと気がつきました」と語ります。朝日町は子育て支援や安く宿泊できる古民家など、移住者支援のための取り組みも活発なのだとか。
坂東さんと朝日町の奇跡の物語はまだまだ始まったばかり。地域になくてはならない建築家と、無限の可能性を秘めた朝日町の今後の発展がとても楽しみになった今回の取材でした。